So-net無料ブログ作成

高橋恵子 河村季里と逃避行とは?自殺未遂もしていた! [芸能]

清楚な女優の高橋恵子が若い頃に当時作家の
河村季里という人と112日間に渡る
逃避行(失踪)をしていたんですね。
10代の頃には自殺未遂もしていたようで
かなり波乱万丈だったようです。
どういういきさつか詳しく調べてみたいと思います。


スポンサードリンク





112日間に渡る愛の逃避行とは?


1979年に行われた「ドラキュラ」の
舞台途中で、当時若手作家だった
河村季里と2人で突然タイに失踪して
しまいます。

もともと清楚で純情可憐な見た目の
高橋恵子でしたがデビュー作から初ヌードを
披露したことからあまりのギャップに
世間を驚かせました。

脱ぎっぷりのいい新人女優として
マスコミに対しても強気な発言を繰り返して
いましたが次第に自分自身を見失うようになり
睡眠薬を大量に摂取して自殺未遂を起こして
います。

その当時のことを「純粋な自分を見てください」
「死んで綺麗になります」という気持ちであった
と高橋恵子は言っています。

「濡れ場女優」と呼ばれることに抵抗があったようです。

その後に取材で知り合った作家の河村季里との
出会いがあります。

河村季里からの言葉
「きみは汚れてしまった」がきっかけで
引退を決意するようになります。

河村季里の影響を強く受けた高橋恵子は
岐阜の山奥の飛騨高山で生活をしていました。

街からは車で30分以上も離れた場所で
農家の廃屋を借りて生活をしていたようです。

周りには民家が16軒しかない寒村で2年間
あまりも過ごしています。

しかし仕事もなく女優しか出来ないと思ったため
山を降りて再び舞台の道へ復帰しますが
わずか9日目でタイへ失踪してしまいます。

そして舞台を降り112日間に渡る愛の逃避行へと
なっていくのです。


スポンサードリンク





高橋恵子はこの時も自殺を覚悟しての行動だった
と言っています。

今では若気の至りだったと話す高橋恵子ですが
当時は死ぬつもりだったとのこと。

しかし、死んだ後のことを考えたときに
親の顔が目に浮かびました。

親は操作願いを出して探していました。

高橋恵子はなんとか自殺を踏みとどまり
日本に帰る決意をします。

しかし日本で待ち受けていたのは
世間の大きな批判でした。

覚悟を決めた高橋恵子は謝罪を繰り返し
特に舞台関係者に対しては損害賠償をして
罪を償うことをしています。

そして自ら進んで謝罪会見も行いました。

その後は1年間の謹慎期間を設けて
女優に復帰していきます。

1982年の映画により現在の旦那さん
高橋監督との出会いに至ります。

そして脱、脱ぎ女優をして昔の自分は
死んだと思い新たな気持ちで
等身大の自分で演じるようになったそうです。

今では年齢も重ねて落ち着いた大人の
女性としてテレビに出ていますが
若い頃にこんなことがあったなんて
とっても驚きですよね。

知らない人の方が多いんじゃないでしょうか。

昔の女優さんはまだ無名の新人の頃に
脱ぐということが多かったようですね。

女優魂というのでしょうか。

それが過剰になっていく中で
本来の自分と世間のイメージとの
ギャップが埋められなく
なってしまったのでしょうね。

当時は他の俳優に共演NGとまで
言われていたみたいですが
まったく持って今ではそんな
雰囲気はないですもんね。

悪いイメージを払拭できて良かった
と思います。

自殺未遂もしたけど生きていれば
やり直しが出来るということですね。

というわけで今回は
高橋恵子の愛の逃避行
と自殺未遂について調べてみました。


スポンサードリンク




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。